中学受験を経験した有名人には、俳優やアーティスト、スポーツ選手など様々なジャンルの方がいます。
中学受験を通じて得た経験や、それを支えた親御さんの教育方針は、これから受験を迎えるご家庭にも大いに参考になるでしょう。本記事では、「中学受験 芸能人」「中学受験 著名人」といったキーワードで注目される幅広いジャンルの人物たちをピックアップし、合格校や受験のきっかけ、親のサポート、そしてその後の進路までをまとめました。ぜひ、実例から中学受験についてのヒントを見つけてみてください。
中学受験を経験した有名人一覧
まずは、名前・主な職業・合格した中学校(出身中学校)を一覧表にまとめます。
名前 | 職業 | 合格した中学校(出身校) |
---|---|---|
芦田 愛菜 | 女優(元子役) | 慶應義塾中等部(慶應義塾大学附属中学校) |
田中 圭 | 俳優 | 渋谷教育学園幕張中学校(超難関私立校) |
日高 光啓(SKY-HI) | 音楽アーティスト(ラッパー) | 早稲田実業学校中等部(難関付属校) |
千原 ジュニア | お笑い芸人 | 京都共栄学園中学校(進学校) |
北斗 晶 | タレント(元プロレスラー) | 神田女学園中学校(伝統の女子校) |
宮本 恒靖 | 元サッカー日本代表選手(JFA会長) | (中学受験挑戦後、公立中学へ進学) |
※宮本さんは中学受験に挑戦し合格には至りませんでしたが、その経験を活かして学業とスポーツを両立された例として紹介します。
それでは、各人物ごとのエピソードを詳しく見ていきましょう。
芦田愛菜(女優) – 「子役は勉強もできる」と証明
芦田愛菜さんは、人気子役として活躍しながら超難関中学に合格したことで有名です。
小学6年生の夏から本格的に受験勉強を開始し、見事偏差値70超えの名門女子校・女子学院中等科と、慶應義塾大学の付属校である慶應義塾中等部の両方に合格しました。最終的には慶應中等部に進学しています。慶應を選んだ理由は、芸能活動との両立を考えてのこと。
女子学院は校則で芸能活動が禁止されていたため、大学までエスカレーター式に進学でき芸能活動に寛容な慶應を選択したと言われています。
この快挙の背景には、芦田さん自身の努力はもちろん、お母様の徹底したサポートがありました。仕事で忙しく学校に通えない日も多かったため、現場の楽屋に参考書やドリルを持ち込み、空き時間で勉強する習慣をつけていたそうです。小学校低学年の頃から月に数十冊もの本を読む読書家で、台本暗記で養われた記憶力も相まって短期間で実力を伸ばしたと報じられています。実際、受験勉強を本格化させたのは小6の夏以降という遅めのスタートでしたが、週末には1日12時間の猛勉強で半年あまりで偏差値を飛躍的に伸ばしたとのこと。
親御さんの教育方針も特筆すべき点です。芦田さんのお母様はマネージャーのようにスケジュール管理や送迎を行い、週1回の振り返りミーティングで学習計画を微調整するなど、「親のサポートが9割」と言われる中学受験を陰で支えました。たとえば、ガントチャートで学校・塾・休息の予定を「見える化」し、本人が自主的に調整できるよう工夫していたそうです。こうした親子二人三脚の取り組みが功を奏し、「子役は勉強ができない」という世間の偏見をはねのけて、「子役はバカじゃない」と証明したいという本人の強い思いも叶えられました。
中学入学後も芸能活動と学業を両立し、慶應義塾女子高等学校へ内部進学した芦田さん。将来の夢は「女優でなければ医者や研究者になりたい」と語るほど向学心が強く、中高6年間も読書好き・勉強好きの優等生として知られています。
中学受験を乗り越えた経験は、限られた時間で集中して物事に取り組む力や、家族のチームワークの大切さを示す好例と言えるでしょう。
田中圭(俳優) – バスケ少年が選んだ中学受験という道
俳優の田中圭さんは、実は超進学校の出身です。その学校とは千葉県にある中高一貫校の渋谷教育学園幕張中学校・高等学校(渋幕)。田中さんは小学生の頃から成績優秀で、東京大学を目指すほど勉強熱心でした。なんと1日8時間も勉強していたといいます。
そんな田中さんが中学受験を決意した理由は意外にも「バスケットボール」でした。小学時代から熱中していたバスケを、高校受験で中断したくないという思いがあったため、中高一貫校に進学して部活動に打ち込み続けようと考えたそうです。このエピソードは、当時テレビ番組で語られ大きな反響を呼びました。「高校受験の代わりに中学受験」という発想で夢を追いかけた点は、中学受験のもう一つのメリットを示しています。
実際、渋幕は東大合格者数全国トップクラスの名門校であり、偏差値70超えの超難関校です。田中さん自身、中学入学当初こそ成績は上位だったものの、周囲のレベルの高さに「すぐに順位が下がった」と笑いながら振り返っています。しかし在学中に芸能界デビューを果たし、高校在学中に出演したドラマ『WATER BOYS』で俳優として大きな飛躍を遂げました。大学受験はせず俳優業に専念しましたが、それも「これで受験しなくて済む!」と前向きに捉え、役者の道を本格的に志すきっかけになったそうです。
田中さんのケースからは、中学受験で得た進学校での学びが本人の地頭や柔軟性を培い、その後の芸能活動にもプラスに働いていることが伺えます。親御さんも、小学生時代の彼の意欲(バスケと勉強の両立)を汲んで受験を勧めたとのことで、子どもの夢と学業を両立させる選択肢としての中学受験の好例と言えるでしょう。
進学校出身でありながら気取らない人柄の田中さんは、「実は高学歴」と視聴者を驚かせつつも、「それを鼻にかけないのが好印象」と言われています。中学受験で培った知性と努力の習慣が、俳優としての魅力にも奥行きを与えているのかもしれません。
日高光啓(SKY-HI)(アーティスト) – 文武両道のラッパー、親の戦略と自主性
AAAのメンバーでラッパーのSKY-HIこと日高光啓さんは、中学受験で早稲田実業学校中等部に合格した才人です。幼少期から勉強・音楽・スポーツと多方面に才能を発揮し、小学6年生時には全国模試で1位になるほどの秀才でした。その後、早稲田実業中等部・高等部に進み、早稲田大学社会科学部にも内部進学しています(のちに音楽活動専念のため大学は中退)。
日高さんの中学受験のきっかけには、ご両親の教育方針が大きく関与しています。幼い頃から「中学受験はしてほしい」と親御さんに言われており、小学4年生の夏に試しに塾のテストを受けたところ楽しく感じたのだとか。テスト後にご褒美としてサイゼリヤのフィレステーキを食べさせてもらえたことも嬉しく、それ以来「もっと受験勉強を頑張ってみよう」という気持ちになったそうです。このように、子どもの自主性を引き出す仕掛け(ちょっとしたご褒美や成功体験)を用意した親御さんの工夫が光ります。
小学5年生から本格的に進学塾に通い始め、水泳・ピアノ・サッカー・公文式など多彩な習い事も続けました。家庭では「勉強しなさい!」と強制されることはなかったものの、習い事を通じて集中力や表現力を養う一方で、小テストの結果次第では親子で焼肉に行くなど、上手にモチベーション管理をされていたようです(本人談)。その結果、早実中等部の他にも複数の難関私立中に合格し、中学受験自体を楽しみながら乗り越えています。
早稲田実業在学中は、勉強だけでなく音楽活動にも打ち込み、高校3年生でAAAとしてメジャーデビューを果たしました。高校卒業後は早稲田大学に進学しますが、「有名人になる覚悟があるなら大学を辞めるのも一つの選択」と自身で判断し、2年で中退しています。この決断にも、幼少期から培った自己判断力とチャレンジ精神が表れているでしょう。
日高さんはインタビューで「義務教育で習ったことはすごく活きている」と述べており、難関校での学びや受験勉強の経験が、音楽プロデューサー・社長業としての現在にも土台になっていると語っています。
親御さんの視点で見ると、日高さんのケースは「好きなことと勉強を両立させる環境づくり」の成功例です。お子さんの興味を尊重しつつ、「中学受験」という目標をうまく動機付けしたことで、本人が自主的に努力するようになりました。中学受験で培った粘り強さや知的好奇心は、彼のバイタリティの根底を支えており、「自ら活路を作り出す」今の姿にも通じています。
千原ジュニア(お笑い芸人) – 猛勉強で名門中学合格も、その先に待っていたもの
お笑いコンビ「千原兄弟」の千原ジュニアさんは、中学受験をわずか数ヶ月の猛勉強で成功させた異色の経歴を持っています。地元・京都の京都共栄学園中学校という中高一貫の進学校に、小学校6年生の終わり頃から3ヶ月間必死に勉強して合格したそうです。ジュニアさん自身、「小学生の時に受験して、中高一貫校に受かった。でもそれが不幸の始まりやった」と語っています。
実は、ジュニアさんは進学した中学校で全くなじめず、引きこもり状態になってしまいました。同級生は医者や弁護士の子息などお坊ちゃん・お嬢ちゃんばかりで、「勉強ばっかりの優等生タイプと合わなかった」ためです。中学1年の終わり頃にはほとんど登校しなくなり、部屋に閉じこもる日々…。ご両親も心配からケンカが増え、「僕のせいで親が仲悪くなっていく」と感じたジュニアさんは、「一刻も早く家を出なければ」と決意します。
そんな時、兄の千原せいじさんから「相方がいないからお前暇なら来い」と誘われて吉本興業の門を叩きました。この転機がなければ、お笑い芸人・千原ジュニアの誕生はなかったかもしれません。引きこもり時代に毎日楽しみに見ていた『笑っていいとも!』に、20年後レギュラー出演を果たした際には、「カメラの向こうに引きこもって見てる子がいると思って、『自分のタイミングで出てくればいいともー!』って言った」と明かしており、自身の過去を笑いに変えています。
千原ジュニアさんのエピソードは、一見「中学受験に失敗した例」のようにも思えます。しかし、短期間で目標を達成する集中力や、「学校に合わない」と感じたときに別の道を見出す柔軟性など、彼の持ち味はこの経験から培われたとも言えます。
親御さんとしては複雑だったでしょうが、猛勉強で合格させたこと自体は息子さんの地頭の良さを証明し、その後の引きこもりも結果的にお笑いの道へとつながりました。ジュニアさんは「厳密に言うと中学行ってないから小卒や」と自虐しますが、執筆活動を行うなど知的な一面も持ち合わせています。中学受験で得た学力と、挫折から立ち直った経験が、独特の切れ味ある笑いの背景にあるのかもしれません。
北斗晶(タレント・元プロレスラー) – お嬢様女子校から“鬼嫁”へ!?異色の経歴
元女子プロレスチャンピオンで、現在は“鬼嫁”キャラのタレントとして親しまれる北斗晶さんも、中学受験経験者です。意外に思われるかもしれませんが、北斗さんは東京の神田女学園中学校に入学しており、中高一貫の女子校で青春時代を過ごしました。神田女学園は大正時代創立の歴史あるミッション系女子校で、「お嬢様学校」として知られています。
北斗さんが中学受験をしたきっかけについて詳細なエピソードは公にはされていませんが、幼少期の彼女は実は極度のプロレス好き。ご両親としては、娘さんにきちんとした教育環境を与えようと考え、中学受験を勧めたのかもしれません。事実、中学時代は放送委員として校内放送でカーペンターズの曲を流すような一面もあり、学生生活は真面目に送っていたようです。
しかし、北斗さんは高校1年生の途中でプロレスラーになる夢を追いかけて中退します。当時から大ファンだった長与千種さんに憧れ、猛反対する親御さんを説得して女子プロレスの門を叩いたというエピソードもあります。普通の女の子が進まないような険しい道を進んだ北斗さんですが、中学受験で培った根性と負けん気は、リングでの活躍にも活かされたのではないでしょうか。
「鬼嫁」と呼ばれる豪快で強い北斗さんですが、実は「元お嬢様女子校の出身」というギャップに驚くファンも多いようです。本人もテレビで「勉強は苦手じゃなかったけど、じっとしていられなかった」と語っており、知的な側面とアスリート気質を併せ持っていたことが伺えます。
親御さんにとっては、せっかく合格した私立校を辞めると聞いたときは心配だったでしょうが、最終的には娘さんの意志を尊重して背中を押したそうです。教育熱心な家庭に育った北斗さんが夢を追う姿からは、「中学受験で得た基礎学力は一生の財産になるが、最終的には子どもの情熱を応援することも大切」というメッセージが感じられます。
宮本恒靖(元サッカー日本代表) – 勉強もサッカーも「あきらめない」教育方針
最後にご紹介するのは、スポーツ界からの著名人、宮本恒靖さんです。
宮本さんは元サッカー日本代表キャプテンで、現在は日本サッカー協会(JFA)会長を務める文化人ですが、少年時代に中学受験を経験した一人でもあります。小学6年生のとき、地元の難関私立中学の受験に挑戦しましたが、試験には合格しながら抽選で漏れてしまうという悔しい経験をしました。この出来事について宮本さんは「好きなサッカーもするけど、勉強もちゃんとしていきたいと思うきっかけになった」と振り返っています。
実際、宮本さんのご家庭の教育方針は一貫して「スポーツをやっていても勉強はおろそかにするな」というものでした。お母様は元英語教師で教育委員会にも勤務された方。小学生の宮本少年が「将来野球選手になりたい」と言えば「無理だからやめなさい」と諭すような、現実的でしっかりしたご両親だったそうです。中学受験で悔しい思いをした宮本さんですが、その後公立の富田林市立金剛中学校に進み、サッカーに打ち込みながら成績優秀な生徒でもありました。
驚くべきことに、中学2年生で早くもU-15日本代表候補に選ばれる一方、中学時代から定期テスト前には1日の勉強計画を立てて実行していたといいます。通学時間も無駄にせず、電車では各駅停車に乗って座席で勉強時間を確保するほどタイムマネジメントを徹底していたとか。こうした努力が実り、地元の大阪府立生野高等学校(府内有数の進学校)に進学。並行してガンバ大阪ユースでサッカーの腕を磨き、高校3年生時にはオリンピック代表に選出されるまでになりました。
高校卒業後は同志社大学に指定校推薦で進学し、在学中にプロサッカー選手としてJリーグで活躍。大学とプロ競技の“二足のわらじ”も見事に履きこなし、引退後にはFIFAマスター(国際サッカー連盟の大学院プログラム)に留学して修士号まで取得するという異例の経歴を持ちます。
宮本さんの歩みは、「中学受験=ゴール」ではなく通過点に過ぎないことを教えてくれます。中学受験に失敗したとき、ご両親は「それでも勉強をおろそかにしない」という姿勢で彼を支え続けました。その結果、宮本さん本人も「サッカーも勉強も両方極めたい」と考えるようになり、計画性と集中力を武器に見事両立を実現したのです。親御さんにとっては、「スポーツ一本にさせるのではなく、学びの場にも身を置かせたい」という想いがあったのでしょう。その方針のもと、宮本さんは地頭と人間力を養い、引退後もサッカー界のリーダーとして活躍しています。
彼のエピソードからは、「燃え尽きない」中学受験の在り方が見えてきます。たとえ志望校に届かなくても、そこで培われた勉強習慣や負けじ魂は一生の財産です。宮本さん自身「中学受験は子どもに等身大の自分を知るチャンス」とも語っており、受験を通じて得た自己管理能力はまさにトップアスリート・指導者としての糧になっていると言えるでしょう。
おわりに:中学受験経験者の物語が教えてくれるもの
ここまで、中学受験を経験した芸能人・著名人のエピソードをジャンル横断的にご紹介しました。それぞれの物語から浮かび上がるポイントを、最後に整理してみます。
- 夢と両立させるための受験
田中圭さんのように「バスケを続けたいから中学受験」、宮本恒靖さんのように「サッカーを認めてもらうには勉強も」という例が示すように、子どもの夢と学業を両立させる手段として中学受験が選ばれることがあります。 - 親のサポートと戦略
芦田愛菜さんや日高光啓さんのケースでは、親御さんが上手にスケジュール管理やモチベーションアップの工夫をしていました。「親子で戦う」のが中学受験と言われる通り、家庭のサポート体制が合格の鍵になることを実感させられます。 - 短期集中と地頭
千原ジュニアさんのエピソードからは、たとえ短期間でも集中すれば難関校に合格し得るという希望が見えます。ただし、環境のミスマッチも起こり得るため、子どもの性格や校風との相性も大事だと教えてくれます。 - 受験を通じた成長
中学受験はゴールではなく、その先の長い人生の一ステージです。合格・不合格以上に大切なのは、努力した経験や学ぶ姿勢だという共通点が、今回紹介した全員に当てはまります。受験勉強で培った集中力や自己管理能力は、進学後はもちろん大人になってからも強みになります。
有名人たちの体験談は、時にドラマチックで驚きに満ちています。
しかし根底にあるのは、「子どもの可能性を信じて支える親の思い」と「自分の道を切り拓こうとする本人の努力」でしょう。中学受験を検討している親御さんにとって、彼らの軌跡は貴重なヒントや励ましになるはずです。
受験は決して平坦な道ではありませんが、乗り越えた先には新しい世界が待っています。有名人たちのように、辛いときもユーモアを忘れず、家族で二人三脚で挑めば、きっと実り多い受験になることでしょう。皆さんのご家庭の中学受験が、将来「良い思い出だったね」と語れるものになりますように!
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